愛犬物語

 昭和60年の晩秋に生まれたのが僕である。お父さんは勿論だが、お母さんの事も、覚えていない。
 新春を迎えた寒い真冬の夜、初めて車なるものに乗った。何処へ行くのだろう?着いた所が見たこともない田舎だぁ。何処だろうと思う間もなく、僕は、車から降ろされた。
 どうして行っちゃうの?寒いなぁ〜、暫くさまようと、小さな家を見つけた僕、寒いから入っちゃい。しかし、何にも無い家だぁここは、小さな箱に紙が積んである。しかも、異様な匂いがするなぁ〜。寒いから、ここで寝ちゃうよ。
 暫くすると、見たことの無い女の人が入ってきて、僕に触ってビックリして出ていった。
お父さん、変なネコ、トイレで寝てたよ。
アッそう
そんな会話が聞こえてきたが、寒いから何処へも行けないし、朝まで失礼します!

夜が明けて、変な犬がいるよ!で、ビックリして縁の下に隠れたけれど、とうとう捕まっちゃった。
後で、知ったが、僕が3度目だったらしい。
1回目は、僕と同じ犬なんだって、おばぁちゃんに付いて来たらしいけど、ご飯を貰って、行っちゃったらしい。
2回目は、外人さんの若い女の人なんだって、男の人に、置いて行かれて困っていたんで、何も知らないおばぁちゃんがやっぱり、家まで連れて来たんだって!でも言葉が♂×?△*#$?で良く分からなかったらしい。
3回目が、僕なんだってさァ
3度目だから、飼うといってくれたんだ。
でも、先輩風吹かせてネコが意地悪するんだ。
平成13年10月21日、もう歩けないや

ということを、思ったかどうか知らないが、犬が家族の一員になった。

 小屋を2回作り直したが、どうも気に入らなかったようで、雨の日も、縦穴式住居で生活していた。穴を掘るのは、犬の性分、どうぞご自由にである。
 住み付いて8年目、子供が散歩から帰ってくると、おしっこが赤いと言う。だんだん、元気が無くなり、ぐったりとしてきた。忙しい5月の連休である。ようやく、水田作業が済んで、動物病院に駆け込んだ時には、虫の息状態。
 フェラリアですね。だいぶ弱っているんで、手術しても助からないかも知れませんという。どうしますかと言う獣医、どれくらいかかりますかの問いに、10万円位。えっ10万円ですか?連れて帰ろうと思った時、それまで、ぐったりしていたのに精一杯顔を上げ、こちらを見つめる顔を見て、手術を決意したのであるが、その後は、この子は、事ある毎におまえは『誰のおかけで、生きていられるんだ』と言われ続けてしまった。そう言えば、カミさんがお金を出したんだ。
 13年目の夏、散歩に行かないとふんばる犬、行くぞと引っ張る爺さん。何処かおかしい。白内障による視力衰弱のようである。薬を貰ったが、どこをどう見ても、人間様と同じに見える。回復しないまま、ブラインド犬となってしまった。獣医の『この子もすぐ慣れるよ』の言葉が、妙に印象に残った。
 時は過ぎ、15年の歳月が過ぎた。平成13年夏からは、足がもたつき、散歩もままならなくなった。それでも、私が帰宅すると、引きずって出てきては、お帰りの挨拶は欠かさない。
 平成13年10月20日から自力では動けなくなった。翌21日に、最後の写真を撮った。その後一時的に回復したが、11月5日からは寝たきり状態で、12日の未明、16年の生涯に別れを告げ、静かに息を引き取った。
 一晩、手元に置き、13日早朝、告別をしました。
 汚れた身体は、洗うが一番とシャンプー液を付けて、橋の上から川に投げ入れてくれた、お父さん。
 ただ飯食ってないで番犬しろといわれ、男と酔っ払いには吠えてやった思いで!。
 ご飯やったと言う声は、聞こえるがいつもくれなかったお母さん、しかし、手術の時はお金を出してくれましたネ。
 髪の毛が邪魔だろうと、頼みもしないのに、お河童にしてくれたおばぁちゃん。
 散歩に行くぞと、言って、自転車に乗るおじいちゃん。それ行けと声をかけたから走り出したら、こけていた。
 犬だと、喜んでいたのは、3日間だけの親の教育が悪い馬鹿ガキども、との16年間。
とにかく、長生きできました。 

 最後に一言。ひん死の状態でも釣りに行った、心やさしいお父さん。僕の命日忘れるなよ!